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小学校も中学校も高校も大学も、学校と名のつくものにまともに通えたことがない。親曰く、保育園もそうらしい。3歳の時からそうなのだから、心から学校が向いていなかったんだと思う。自動車学校も通えなかったし。唯一ちゃんと行けたのは、自分で習うことを決めたピアノだけ。あとは仕事。毎日仕事ができてるのは本当に奇跡だと思うので、会社はもっと私を大切に扱うべきだと思う。

ただ、学校という場所が嫌いだったわけじゃない。その時々で出来た友達はこんな自分と今でも仲良くしてくれているし、楽しかった思い出もたくさんあるし、結果的には学校行って良かったなと思う。何が嫌だったのかというと、決められた時間に行かなければいけなくて、決められた服装をしなければいけなくて、決められた課題を出さなければいけなかったこと。仕事の方がよっぽど決まり事がたくさんあるのに、不思議だな。

世の中には何でコイツ幸せそうにしてるんだろうって思う人間がたくさんいる。裏では死ぬほど浮気してるくせにInstagramで嫁が妊娠した報告をしてる男とか、不倫を上機嫌に語ってくる上司とか。裏で悪いことをしてる人間に限って、幸せそうに見せるのが上手なのは何でだろう。製麺工場でバイトしてるフリーターの友達が冗談で「こんな俺でも見捨てないでくれよ」って困ったような顔で笑った時、「この人にこそ幸せになってほしいのに」と強く思った。

決められたことを守れと言われて育ってきたのに、法律も守れないようなやつが幸せそうに暮らしてるんだから、やっぱり学校で習ったことってそんなに正しくなかったんだな。

「悪いことをやってはいけない理由ってたくさんあるけど、最近の回転寿司の件がわかりやすい。本当に悪い人って絶対自分でやらない。自分より立ち位置が下の人間に悪さをさせて、見下して楽しんでるだけ。そういう人に搾取されることに慣れちゃだめ。だから、悪いことは自分が心から楽しめない限りやんない方がいい」ってインタビューをどこかで読んで、すごく良いなと思った。笑う存在(たとえそれが嘲笑でも)がいてこそ、ピエロは生まれるのだ。

眠れなかったら明け方まで起きてたっていいし。ユニクロユーのオーバーサイズTシャツを着なくていいし。夏のよく晴れた日に、家で涼んでいるだけで1日を終えてしまって罪悪感を感じてしまっても気にしなくていいし。長期休みには旅行しなくていいし。ズル休みしてもいいし。友達100人もいなくたっていいし。

生まれてはじめて、私にとって失ったら嫌だなと思える生活があって、もう悪いことなんてしたくないなと思った。ずっと平凡に穏やかに暮らしたいな。このまま歳を重ねていけたらいいなって思ったら、生まれてはじめて死ぬことが怖くなった。それが嬉しかった。

夏が来たって、バーベキューしなくても、旅行にもフェスにも行かなくても、水遊びしなくても、祭りにも花火大会にも行かなくても。それでいいんだよって、言ってほしい人間に寄り添うものが作れるようになりたいなと思う。