Re:Re:

友人のクルー達が新しくアルバムをリリースしたので、ひさしぶりにクラブに顔を出した。コロナ禍だったので実に3〜4年ぶりに会う人がたくさんいたけど、みんな老けたり丸くなったりしていて、それでいてやっぱり変で面白かった。私が入っていたDJサークルはしぶとく細々と存続し、私が所属していた頃よりも派手で明るい子たちがたくさんいて若干怖かったが、サークルが潰れてなくて良かったな、と嬉しくなる。もう7歳も下になる(!)現役大学生の後輩が流す2010年代のクラブミュージックは、私が18歳ではじめてクラブに行った時に十八番で流れていた楽曲。後輩のツレだと思われる女の子たちが「めっちゃ平成だね」と湧いていた。今でも学祭のシーズンが近くなると聴きたくなるその楽曲は、もう古い音として受け継がれているんだなと思うと、切ないけれど嫌な気持ちはしなかった。こうして一つ一つの楽曲が、流行の背景を置いてきぼりにして"音"として受け継がれていくところがクラブの良いところだと思う。

働き始めてから、自分のためだけにエンターテインメントを摂取することができなくなった。何を見聞きしても、作り手のことを考えてしまうし、「自分だったらどうするだろう」とか「これはあの案件の企画につかえるな」とか、無意識に仕事に結びつけて考えてしまう。まるで宝物を大事にしまうような自分のためだけのインプットは消え、何か少しでも仕事のためになるものを、と考えてしまう癖がいつの間にかついて抜けなくなった。

GWに地元の友人と1泊2日でロキノン系のフェスに行った時に、すごく久しぶりに、おそらく社会人になってからはじめて余計なことを何も考えずにエンターテインメントを全身に浴びた。地元の友人は、勝手にそれぞれがバラバラのことを話しているので聞き取るので大変だし、何話していても変で笑えるし、余計なことを考える隙がない。考えていたことと言えば、16歳の時に大好きだった音楽を10年経っても当時から仲良くしてくれるメンバーと一緒に聴くことができることってすごくありがたいことだな、とかそんなことばかりで。10年経ってもバンドが解散しなかったこととか、10年間ずっと友人たちと縁が切れなかったこととか。当たり前のようで当たり前ではないことが奇跡みたいだな、と考えていた。仕事のことが頭に入る余地がなくて、ただただアーティストはじめとするフェスを作り上げた人たちから与えられたエンタメを享受することができた。

今回、上京(ただしくは埼玉)してからの付き合いになる友人たちのリリースパーティーでも、同じような体験をした。彼らの書くリリックには、胸が苦しくなるような懐かしい固有名詞がたくさん出てきて、当時のことが鮮明に思い出せる。

「今日ひさしぶりに会ったやつらもいるけど、元気でやってればそれでいい。たまに帰ってきて顔見せてくれよ。またあの頃みたいに遊ぼうな」

せわしなく過ぎる日々の中でいつの間にか忘れてしまっていた大事な思い出たちが一瞬でフラッシュバックして何だか泣きそうになった。

今回のイベントで会った友人も、最近会ってくれた地元の友人たちも、いつだってまっすぐで自分の考えをしっかりと持っていて、ものごとを自分の力で切り拓ける人たちだと思う。私が曲がった方向に行こうとすると、何を言うわけではなくても、その明るさで私を正しい方向に導いてくれる。自分の信じた将来に向かって突き進んでいく姿に、私自身も明日からまた頑張ろうと思わせてられるような、そんなパワーのある人たちが多いと思う。直接は言わないけれど、心から尊敬しているし、たまにしか会えなくてもいつだって感謝している。

私は「青春」という言葉を昔からすごく慎重に使う。毎月制作しているフリーペーパーのタイトルに、今月号で初めて「青春」と入れたのは、使うに値すると判断できたことはもちろん、ここ数ヶ月で会ってくれた人たちがあらためてあの頃が大切だったと思わせてくれたからだと思う。

なんだか何を書きたかったのかよくわかんなくなってきたので、最後に行ったことのあるフェスの偏見を書いて終わりにする。

 

ロキノン…一番平和で明るい。大衆的。

ヒップホップ…全員スノーピーク着てる。基本眠い。飲酒に向いている。

テクノ、ハウス…一番楽しい!けど一番変なやつ多い。

レゲエ…非合法。夜に1人でキャンプサイトを歩き回ってはいけない。

EDM…実質北関東