最終列車は25時

出張で名古屋にしばらく滞在していた。

役職が上がったので会食が増えた。誰が見ても営業には向いていないとわかる人間なのに、そういう場に引っ張り出されると非常に疲れる。早めに会食を切り上げて向かった品川駅、終電間際の新幹線乗り場。同じく最終で出張に向かう(もしくは帰宅する)サラリーマンの列に並んで、350mlの缶ビールをひとつ買おうとしていた。みんな好きなおつまみと缶ビールを手にしている。先日、アメリカから帰国していた叔母に「日本人働きすぎ!」と言われたことを思い出した。

電光掲示板を確認して、チケットを出そうと立ち止まった時、改札の向こうからガラガラガラガラ、と大きな音がした。若い女の子が遠くからキャリーケースを引いて凄い勢いで走ってくる。ニューバランスのスニーカーが走りやすそうだな、とぼんやり見ていたら、軽やかに改札を飛び出して、改札外にいた男の子の胸にダイブした。キャリーケースをほっぽり出して、人目も憚らずに強く抱き合っていた。「会いたかったよ」「会いたかったね」何度も何度も、2人で確認していた。男の子の腕にすっぽりとくるまれて、女の子の顔は見えなかったけれど、少し涙声だった気がした。

あんまりにも人目を気にしないものだから、私をはじめとする缶ビールを手にしたサラリーマンたち数人が、しばらく2人を見ていた。早朝の仙台駅が思い出されて泣きそうになった。一緒に立ち止まっていたサラリーマンたちは、いったいどんなことを思い出していたのだろうか。

そんなものを見たせいで新幹線に乗車してからはPCを開く気になれなかった。新幹線の中は仕事が捗るので好きなのだけど、その日はイヤホンもせず、ただぼーっと缶ビールを飲んだ。隣の席のサラリーマンが3缶目を開けた。ビールからハイボールに。車内販売でまた2缶買い足していた。どんだけ飲むんだよ。平日のど真ん中からこんなに飲まないとやっていられない社会なんておかしいよね。彼が翌日有給であることを心から願った。

日々の中で見た、うまく言葉にできないけれど泣きそうになる瞬間を切り取って大切にファイリングしたい。

渋谷駅マスク越しにキスしていたカップルとか、並列してチャリンコを漕ぐ警察官とか。

ソニマニのことを書こうとずっと思っていたのに、頭が持っていかれてしまったな。

 

super shy

他人に対してすぐに嫌になり、縁を切る癖が治らない。当たり前だけど、人のことを嫌いになることが多い分、嫌われることもたくさんある。損している人生だ。

私が時間をかけて大切にしてきたものを一瞬でひったくっていってしまう人間が苦手だ。悪気があればいいけれど、悪気なくやる人間がなおさら苦手だ。責める余地がないので、自分のそういった嫌なところが浮き彫りになってしまう。そういう人に掻っ攫われたものすべてが嫌になってしまうのも苦しい。

昔、自分に都合のいいコミュニティだけに閉じこもっていることを責められたことがある。言った人間は、とんでもなく性に貪欲な人間だったので「お前が開いてるのはコミュニティではなく股だろ」と思ったら嫌になった。その人間とはその後全ての誘いを断り絶縁した。

自分を苦しめる嫌なものを自分の世界から排除することの何が悪いのか、27歳になってもいまだにわからない。小さい頃から不可抗力の嫌なものが周りにたくさんあったから、大人になって自分で取捨選択できるのはありがたい。少しでも見たくないものは、親指ひとつでミュートでもブロックでもすればよいのだ。見られたくないものは閲覧制限をかければよいのだ。自分で自分の居心地のよい場所を作れなかったら、誰も作ってくれないんだから。

Heat

365日24時間、寝てる時と通勤電車との中、食事中以外はほとんど仕事をしているし、仕事をしていない時は仕事のことを考えている。

1年目は、慣れることに毎日必死で過酷な現場にしがみついた。2〜3年目は、アルコール依存症寸前になるまで追い詰められた。4年目からは、帰らないことも寝られないことも当たり前になりすぎて、なんとも思わなくなった。社会人になってから、仕事のことを考えない日なんてなかったので、5年目は仕事を考えないようにする努力を始めた。このままでは、良くないと思ったから。

プライベートのSNSをほとんど見なくなって、代わりに公式アカウントを見る時間が増えた。SNSを見る時ですら仕事のためになるように。何があってもいいように金曜の夜は予定を入れないようにしたら、いつも誘ってくれていた友達から誘われなくなった。同居人と穏やかで温かい生活を続けるのが怖くなった。つまらないものしか作れなくなりそうで。

会社の適正テストの結果が返ってきて、社会性が10点満点中1だった。小学生の時の通知表から一切変わらない内容が書かれていた。人間ってそう簡単には変わらないんだと安心した。

だんだんと、仕事の交友関係が増えて、学生時代の友達と話が合わないと感じることが増えた。それは寂しかった。

好きな漫画に「大事なもの全部捨てて上京してこれに賭けたの」というセリフがあって、まさにその通りだった。何を無くしても捨てたくないと思った。承認欲求、自己肯定感、社会と私を結ぶ紐。恋人でも友人でも満たせることのない何かを満たしてくれるのが、この仕事だから。努力と言えば聞こえがいいんだろうけど、自分にとったら仕事をしているのがあまりにも普通のことで、それは他人に評価されるものでも、押し付けることでもない自分だけの価値観。だから、私が評価されることは当然のことなので、昇給しようがなんだろうが別に驚きはしない。だけど、なんとなくこのままでいいのかなって、漠然と不安になるような日もある。ただ、今日あらためて何にもいらないからこの仕事が欲しい、と思ったことを思い出した。それを、思い出せてよかった。

star ship

言語化するのが難しいくらいしんどいな、と思う。本当はアウトプットしない方が良いのだろうけど、文字にすることで整理したいと思ったので、深夜これを書いている。

自分がまだ高校生の時、ギャル雑誌もギャルモデルも流行していた。その中で、原宿系雑誌のモデルとして、有名アパレル店員として、大人気だったふたり。他人の記念日ブログは興味なかったけれど、ふたりのブログは楽しみに読んでいた。キュートでポップな唯一無二の世界観。お互いを思いやっていることがわかるブログの文章。ファッションはもちろん、世界観にも価値観にも核がしっかりとあることが伝わり、何もかもがキラキラしていて、見ているとワクワクした。

インタビュアーをしているので様々な方にお会いするのだが、当たり前だがみんな人間で。冗談で笑ったり、少し機嫌が悪かったり、話してみればみんな普通の人間だった。複数回取材をすることがあれば、覚えていてくれる方もいて、「昨年ぶりですね」とかそういった言葉をかけてもらうたびに、この人は同じ世界を生きている普通の人なんだと実感を重ねた。

よく出入りするビルには大勢の出待ちがいるし、ロケで外に出れば無断で写真を撮る非常識な人がたくさんいる。スタッフが周りにいてもそうなのだから、プライベートでもきっとそうなんだろう。SNSを開けば、好き勝手なことを話すポストが溢れかえる。

「有名人は自分自身が商品」ということを免罪符にする人もいるが、商品であるならば貴方はその商品に対して対価を払ったことがあるのかと問いたい。勝手な理想を抱いて、勝手に偶像化したのは誰なんだ、と。

今日は、人身事故が多かった。今回の件で、自分はおそらく感受性がとても強いんだと気がついた。良いことも悪いことも、自分に関係がなくとも気持ちが引っ張られてしまう。しばらくはきっと、苦しい気持ちの中で過ごすんだろう。

私の大切な人たちが、どうか辛いことを溜め込まず、健やかでありますように。

zero

小学校も中学校も高校も大学も、学校と名のつくものにまともに通えたことがない。親曰く、保育園もそうらしい。3歳の時からそうなのだから、心から学校が向いていなかったんだと思う。自動車学校も通えなかったし。唯一ちゃんと行けたのは、自分で習うことを決めたピアノだけ。あとは仕事。毎日仕事ができてるのは本当に奇跡だと思うので、会社はもっと私を大切に扱うべきだと思う。

ただ、学校という場所が嫌いだったわけじゃない。その時々で出来た友達はこんな自分と今でも仲良くしてくれているし、楽しかった思い出もたくさんあるし、結果的には学校行って良かったなと思う。何が嫌だったのかというと、決められた時間に行かなければいけなくて、決められた服装をしなければいけなくて、決められた課題を出さなければいけなかったこと。仕事の方がよっぽど決まり事がたくさんあるのに、不思議だな。

世の中には何でコイツ幸せそうにしてるんだろうって思う人間がたくさんいる。裏では死ぬほど浮気してるくせにInstagramで嫁が妊娠した報告をしてる男とか、不倫を上機嫌に語ってくる上司とか。裏で悪いことをしてる人間に限って、幸せそうに見せるのが上手なのは何でだろう。製麺工場でバイトしてるフリーターの友達が冗談で「こんな俺でも見捨てないでくれよ」って困ったような顔で笑った時、「この人にこそ幸せになってほしいのに」と強く思った。

決められたことを守れと言われて育ってきたのに、法律も守れないようなやつが幸せそうに暮らしてるんだから、やっぱり学校で習ったことってそんなに正しくなかったんだな。

「悪いことをやってはいけない理由ってたくさんあるけど、最近の回転寿司の件がわかりやすい。本当に悪い人って絶対自分でやらない。自分より立ち位置が下の人間に悪さをさせて、見下して楽しんでるだけ。そういう人に搾取されることに慣れちゃだめ。だから、悪いことは自分が心から楽しめない限りやんない方がいい」ってインタビューをどこかで読んで、すごく良いなと思った。笑う存在(たとえそれが嘲笑でも)がいてこそ、ピエロは生まれるのだ。

眠れなかったら明け方まで起きてたっていいし。ユニクロユーのオーバーサイズTシャツを着なくていいし。夏のよく晴れた日に、家で涼んでいるだけで1日を終えてしまって罪悪感を感じてしまっても気にしなくていいし。長期休みには旅行しなくていいし。ズル休みしてもいいし。友達100人もいなくたっていいし。

生まれてはじめて、私にとって失ったら嫌だなと思える生活があって、もう悪いことなんてしたくないなと思った。ずっと平凡に穏やかに暮らしたいな。このまま歳を重ねていけたらいいなって思ったら、生まれてはじめて死ぬことが怖くなった。それが嬉しかった。

夏が来たって、バーベキューしなくても、旅行にもフェスにも行かなくても、水遊びしなくても、祭りにも花火大会にも行かなくても。それでいいんだよって、言ってほしい人間に寄り添うものが作れるようになりたいなと思う。

another world

現状が辛くて、胃の下辺りがギュッとするような毎日を過ごしていると、「何かを変えなきゃ」「前に進まなきゃ」「動き出さなきゃ」って焦ってしまう。でも、何とか日々をこなしていくのに精一杯で余裕もなくて、結局今日も何も変えられなかったって落ち込むこともたくさんある。勇気を出して自虐みたいに周りの人に話したところで「時間は作るものだから」とか「行動しないと始まらないよ」とか正論パンチされて結局傷つくだけだし、余計自分の中でぐるぐる考え込むようになるだけの悪循環かもしれない。停滞しているように見える毎日だけど、自分を甘やかすことだけは忘れないで生きていきたい。自分の考えていることは自分だけにしかわからないということは、言葉にしなかったら誰にもわからないことと同じ。側にいるだけで伝わる人間なんてこの世に1人もいないから、余裕ができたら、たくさんの「好き」を言葉や形にして、周りごと甘やかしていきたい。でもやっぱり必死で、自分ばかりの毎日だからせめて自分にだけは優しくていいんだと思う。

Re:Re:

友人のクルー達が新しくアルバムをリリースしたので、ひさしぶりにクラブに顔を出した。コロナ禍だったので実に3〜4年ぶりに会う人がたくさんいたけど、みんな老けたり丸くなったりしていて、それでいてやっぱり変で面白かった。私が入っていたDJサークルはしぶとく細々と存続し、私が所属していた頃よりも派手で明るい子たちがたくさんいて若干怖かったが、サークルが潰れてなくて良かったな、と嬉しくなる。もう7歳も下になる(!)現役大学生の後輩が流す2010年代のクラブミュージックは、私が18歳ではじめてクラブに行った時に十八番で流れていた楽曲。後輩のツレだと思われる女の子たちが「めっちゃ平成だね」と湧いていた。今でも学祭のシーズンが近くなると聴きたくなるその楽曲は、もう古い音として受け継がれているんだなと思うと、切ないけれど嫌な気持ちはしなかった。こうして一つ一つの楽曲が、流行の背景を置いてきぼりにして"音"として受け継がれていくところがクラブの良いところだと思う。

働き始めてから、自分のためだけにエンターテインメントを摂取することができなくなった。何を見聞きしても、作り手のことを考えてしまうし、「自分だったらどうするだろう」とか「これはあの案件の企画につかえるな」とか、無意識に仕事に結びつけて考えてしまう。まるで宝物を大事にしまうような自分のためだけのインプットは消え、何か少しでも仕事のためになるものを、と考えてしまう癖がいつの間にかついて抜けなくなった。

GWに地元の友人と1泊2日でロキノン系のフェスに行った時に、すごく久しぶりに、おそらく社会人になってからはじめて余計なことを何も考えずにエンターテインメントを全身に浴びた。地元の友人は、勝手にそれぞれがバラバラのことを話しているので聞き取るので大変だし、何話していても変で笑えるし、余計なことを考える隙がない。考えていたことと言えば、16歳の時に大好きだった音楽を10年経っても当時から仲良くしてくれるメンバーと一緒に聴くことができることってすごくありがたいことだな、とかそんなことばかりで。10年経ってもバンドが解散しなかったこととか、10年間ずっと友人たちと縁が切れなかったこととか。当たり前のようで当たり前ではないことが奇跡みたいだな、と考えていた。仕事のことが頭に入る余地がなくて、ただただアーティストはじめとするフェスを作り上げた人たちから与えられたエンタメを享受することができた。

今回、上京(ただしくは埼玉)してからの付き合いになる友人たちのリリースパーティーでも、同じような体験をした。彼らの書くリリックには、胸が苦しくなるような懐かしい固有名詞がたくさん出てきて、当時のことが鮮明に思い出せる。

「今日ひさしぶりに会ったやつらもいるけど、元気でやってればそれでいい。たまに帰ってきて顔見せてくれよ。またあの頃みたいに遊ぼうな」

せわしなく過ぎる日々の中でいつの間にか忘れてしまっていた大事な思い出たちが一瞬でフラッシュバックして何だか泣きそうになった。

今回のイベントで会った友人も、最近会ってくれた地元の友人たちも、いつだってまっすぐで自分の考えをしっかりと持っていて、ものごとを自分の力で切り拓ける人たちだと思う。私が曲がった方向に行こうとすると、何を言うわけではなくても、その明るさで私を正しい方向に導いてくれる。自分の信じた将来に向かって突き進んでいく姿に、私自身も明日からまた頑張ろうと思わせてられるような、そんなパワーのある人たちが多いと思う。直接は言わないけれど、心から尊敬しているし、たまにしか会えなくてもいつだって感謝している。

私は「青春」という言葉を昔からすごく慎重に使う。毎月制作しているフリーペーパーのタイトルに、今月号で初めて「青春」と入れたのは、使うに値すると判断できたことはもちろん、ここ数ヶ月で会ってくれた人たちがあらためてあの頃が大切だったと思わせてくれたからだと思う。

なんだか何を書きたかったのかよくわかんなくなってきたので、最後に行ったことのあるフェスの偏見を書いて終わりにする。

 

ロキノン…一番平和で明るい。大衆的。

ヒップホップ…全員スノーピーク着てる。基本眠い。飲酒に向いている。

テクノ、ハウス…一番楽しい!けど一番変なやつ多い。

レゲエ…非合法。夜に1人でキャンプサイトを歩き回ってはいけない。

EDM…実質北関東